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NPO法人弱視の子どもたちに絵本を

数学の魅力

 この世には、数学病という世にも恐ろしい病気にかかってしまった人種がいる。かくいう私もその一人である。

 数学病感染者は、数学を「学ぶもの」としてではなく「楽しむもの」として捉えてしまう。そして、一度数学病に感染すると、数学ウイルスは体内でしぶとく生き続け、一生その症状に悩まされることになる。

 数学病ははるか昔から存在するため、ワクチンの開発も進んでいる。それは、わけもわからずただ正しいと言って押し付けられる数学だ。それは手っ取り早く数学の問題を解けるようにするには有効的な方法かもしれないが、そうして薄まった数学の魅力は、数学の難しさの前には霞んでしまい、むしろ数学病への免疫力を高める結果となる。場合によっては、数学嫌いという重篤な副反応を示すこともあるので、投与には注意が必要だ。

 元来人間は、理由を知りたがる存在である。その証拠に、幼児は「なぜ空は青いの?」といった質問をよくする。「空は青いの?」ではない。そんなのは見ればわかる。(色を認識できない視覚障害者は別である。)空が青いのかという一目両全な「事実」ではなく、空が青い「理由」を聞いているのである。

 つまり、地的好奇心というものは、ある「事実」よりむしろその「理由」に向いているといえる。

 それを数学に適応すると、人々が好奇心を抱くのは、数学的な事実より、それが導かれる過程、つまりはその事実が正しいとされる理由に対してであるということになる。

 要するに、数学の魅力というのは、ある事実だけでなくその理由を知って初めて、完全に味わうことができるものなのである。

 これは、数学だけでなく、物理学などにもいえることだろう。しかし、数学と物理学の証明の決定的な違いは、厳密性にあると思う。

 物理学的証明は、ある実験を繰り返し行うことによってなされる。しかし、実験には誤差が付き物だし、常にその実験結果が正しいという保証はどこにもない。無限の可能性を全て調べつくすことはできないからだ。

 それに対して、数学的証明は、一つの証明で無限の可能性全てについて説明することができる。これは非常に興味深い。なぜなら、それは有限の証明から無限の結果が得られるということを意味するからだ。

 理論物理学という分野では、数学を持ちいて物理学的事実を証明する。それでは、理論物理学と数学の違いは何だろうか。

 理論物理学は、実験から得られた事実を基に作られる。つまり、それだけで事故完結しておらず、不正確さを持つ実験結果を必要としているのだ。物理学は現実世界を記述できなければならず、そのためには現実世界のデータを必要とするのは当然である。

 それに対して、数学はそれだけで事故完結している。論理的な事実のみを用い、不正確さは皆無である。数学が研究するのは現実世界ではなく虚構の世界なのので、現実世界のデータは必要としないのである。

 つまり、物理学と数学の違いは、対象とする世界が現実か虚構化ということになる。

 物理学は、創造された世界を研究する。数学は、創造した世界を研究する。

 これが、物理学と数学の最も大きな違いであるといえるだろう。