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NPO法人弱視の子どもたちに絵本を

いかにして数学を学ぶか

 数学の成績は、数学センスによるところが大きいというのが、多くの人の意見である。

 たしかに、数学の場合、難しい応用問題は、どれだけ勉強していても解けないということはある。

 しかし、それは数学はどれだけ努力しても意味がないということではない。ただ、努力する方向が、他教科とは少し異なるのである。

 そもそも、数学の勉強には三つの段階がある。すなわち、理解の段階、練習の段階、応用の段階である。

 理解の段階とは、ある概念や基礎的な問題の解き方を理解する段階である。この段階では、重要なのは問題を速く解けることではなく、意味を正しく理解することだ。

 練習の段階とは、理解の段階で理解した事柄を反復練習する段階である。これによって、理解の段階で理解した事柄がパターン化されて、頭に定着する。

 応用の段階とは、練習の段階で身についたことを使って、応用問題に挑戦する段階である。これには確かに、数学センスもある程度必要になってくる。が、最も重要なのは、理解の段階と練習の段階を十分に踏むことだ。

 注意が必要なのは、理解の段階をスキップして練習の段階に進んでしまうことだ。

 「基礎的な問題が解けるならば、十分に理解しているはずだ。」これは、大きな誤りである。

 実際には、十分な理解ができていなくても、繰り返し練習しさえすれば、基礎的な問題を解くことはできる。

 人間は、問題を類別してパターン化することが得意だ。「こういう問題はこのように解く。」と一つ一つ場合わけして解き方を暗記してしまう。

 だが、この方法では無駄に記憶の容量を消費するだけでなく、意味が分からないことを一方的に押し付けられていると感じて数学への苦手意識を生んでしまい、しかも基礎を理解していないために足腰の弱い数学力となり、結果的に応用問題に歯が立たないということになってしまう。

 だから、練習の段階で得られる幻の「理解した感覚」に惑わされず、確かな理解を追い求めることが重要なのである。

 もっと具体的に書こう。数学で分からないことがあれば、それを放置してはならない。練習量によってその「分からない感覚」をかき消してしまうのはご法度だ。とにかく、教師に質問してみよう。教師はそのために存在するのだから。

 もちろん、そうしても分からないことはある。山ほどある。その場合はどうすればよいのか。

 これには明確な答えは存在しない。ただひたすら考えろと言うしかない。その結果結局理解できるかは分からないが、深く考えることは無駄ではないはずだ。

 考えるときのポイントは、まず自分が具体的にどこでひっかかっているのかを探すことだ。

 例えば、一口に「一次方程式の解き方が分からない。」と言っても、分からないところは人によってさまざまだ。等式の両辺に同じ計算をしてもよい理由が分からないとか、移項の意味が分からないとか、複雑な計算になるとどこから手をつけていいのか分からないとか、具体的に分からないところを探っていく。言わば、「分からなくなる最前線」を探すわけだ。

 そして次に、その最前線をじっくり考える。自分で分からなければ、また教師に聞いてみよう。同級生からも思わぬヒントが得られる可能性がある。本屋インターネットも、あなたの理解の助けになるだろう。

 こうしてゆっくり1歩1歩前進していく。これが、数学に求められる努力の形だ。

 完全に習ったことを理解すれば、やっと練習の段階に進むことができる。ここでは、問題を類別してパターン化して暗記することも必要になる。ただし、いつでも初心に戻って、それが成り立つ理由が思い浮かぶようにしておくことが重要だ。

 練習の段階では、とにかく多くの問題を解くことが最善の方策だ。この段階は、他教科の勉強法と酷似しているため、多くを語る必要はないだろう。

 練習の段階を過ぎると、今度は応用の段階だ。

 応用問題というのは、そもそも普通の問題の発展型に過ぎない。したがって、練習の段階で培った技能は、応用の段階でも十分通用する。さらに、複雑な問題が出た場合でも、きちんとした理解があれば、落ち着いて対応することができる。

 後は、応用問題をたくさん解いて、練習問題と同じように類別してパターン化してしまえばよい。

 これが数学の勉強の一連の流れである。

 結局、全てはきちんとした理解から始まるということをご理解いただけただろうか。

 さて、前置きはここら辺にして、次回からは実際の数学の内容に踏み込んでいくことにしよう。